茨城県北茨城市大津町にある佐波波地祇神社の御案内

ご由緒・神社案内

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御由緒

ご祭神

主祭神  天日方奇日方命(アメヒカタクシヒカタノミコト)

配祭神  大巳貴命(オオナムチノミコト)

       積羽八重事代主命(ツミハヤエコトシロヌシノミコト)

       大物主命(オオモノヌシノミコト)

       媛蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)

       五十鈴依姫命(イスズヨリヒメノミコト)

ご由緒

 当社の創立の起源は古く延喜式神祇神名上に常陸國二十八座 大七座小二十一座の中に多珂郡一座小 佐波波地祇神社 とあり、また日本三代實録には「清和帝 貞観元年四月二十六日辛亥常陸多珂郡正六位佐波波神進從五位下云々」とあり、また社伝によれば「多珂郡皇浦(今改大津)佐波ノ湊ニ鎮座佐波波神 天日方奇日方命而号大宮大明神云々」とあり、このことから、創建は少なくとも一千二百年前の齋衡(八五四~)・天安(八五七~)頃とされる。
 古くは佐波波神また六所明神とも尊称されていたが、元禄年間に西山公(徳川光圀公)が神徳を景仰して、神鏡一面を奉納し、大宮大明神と尊称を奉った。

御神徳

 六主神一体となり国家鎮護・国運開発・万物生命の守護・目的達成・海上守護・家内安全・交通安全・交通安全・民業(漁業農業商業工業等)の祈願の萬願を成就し守護する。
 特に海上守護の御霊徳が顕著により広く世に知られ、古来武将及び海上航海漁民の崇敬が篤い。
 海上よりこの山を望めば鬱然たる森を見、東海の船舶は常に航路の目標としている。

社伝

 上古大和武尊が東征の砌、大津の沖で逆浪に漂い給うこと数句、一夜白衣の神人、雲龍に乗って御夢枕に立ち「吾ハコレ佐波波ノ神也。今皇子ノ御船ヲ守護センガタメ来レリ。直チニ順風ニナサン」と。夢覚めれば果たしてその言の如く波穏やかにして遥かに杜を見る。依って使いを遣わし幣を奉った。と古記にあり。また、その後にも、源義公(光圀)が船で北地探検の途中で漂い給いし時、遥かにこの神山の松影を認め針路旬日にして無事接岸することができたと言う。

唐帰山(からかいさん)

 前述の奇瑞と松影からこの鎮座地は唐帰山と呼ばれている。
 境内には老松鬱蒼として拝殿をつつんでいた。
「それは大津の唐帰山 よそに木がない松ばかり」(祭りはやし)
 海上よりこの山を望めば、蒼龍の天に躍るがごとく、東海の船舶は常に航路の目標としていた。

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